- 明 治
-
明治30.(1897)4.12
○『仙台市高等女学校』(仙台市南町通り)
明治32.(1899)3.23
○ 本科第一回卒業生
未だ新校舎を持たなかった本校は、ホールとして利用されていた「五城館」において、第一回生の卒業式を挙行した。
明治32年度の卒業生は23名。
国分校長の両脇に大泉、遠藤、芳賀……諸先生明治32.(1899)4.1
○ 同窓会設立
明治32.(1899)9.21
○ 【校舎移転】(仙台市元寺小路)
○ ≪校歌制定≫
右の譜面は昭和10年代に使われた「MUSIC BOOK」に収められたもの。
>>校歌あれこれ ♪宮城第一高等学校 校歌 play/stop (2018年度卒業式より) ♪校歌 ピアノ伴奏 play/stop明治33.(1900)4.1
○ 『宮城県高等女学校』(定員400名)
明治34.(1901)4.1
○ 『宮城県立高等女学校』
明治37.(1904)4.
○ 友の栞創刊
明治39.(1906)
○ ≪校章制定≫
>>校章制定ページへ明治45.(1907)
○ 当時の本校
- 大 正
-
大正 2.(1913)3.
○徽章の制定
大正2年1月に「徽章佩用規定」を制定し、校章を身につけることになった。徽章は銀白色、円の外径2.2センチ、内径1.8センチのもので、現在生徒が付けている徽章とほぼ同じものである。
和服にバッジを付けている寄宿舎生
送別記念撮影(本科第十五回生)大正 5.(1916)4.
○学友会誌創刊号に掲載された
「本校制定禁止用語」の一覧表
○定員600名大正 7.(1918)4.
○『宮城県立第一高等女学校』
大正 8.(1919)11.
○『宮城県第一高等女学校』
大正11(1922)4.
○推薦服の登場
明治期には生徒の羨望の的であった袴も、大正期に入ると「余りに地味すぎる」と批判を受けるようになった。本校では大正11年4月「推薦服」という仮称で洋服のひな形を数種類試着させて、洋服の着用を奨励することとなった。全国的に見ても、この時期に女学校で制服が推奨される事例は極めてまれであった。大正14.(1925)4.
○新入生から制服は洋服となる
- 昭 和
-
昭和 3.(1928)4.
○定員800名
昭和 5.(1930)5.14
○旅行 3年・達谷の窟
昭和 5.(1930)6.7
○同窓会館の新設
戦前の同窓会館は、第五代宮田校長、第六代山下校長の二代にわたって計画が練られ、昭和5年6月7日に落成の運びとなった。その建設場所は、「元寺小寺の突き当りで、佐沢氏の東の処」と『友の栞』には記されている。建物は二階建てで、延べ坪数140坪であった。二階ベランダからは向山や仙台市内の展望が開け、まさに校歌の世界そのものが広がっていた昭和 7.(1932)4.
○軍用飛行機献納期成同盟を同窓会が後援
昭和15.(1940)4.12
○皇紀2600年記念事業として学校林が設定された
昭和20.(1945)7.10
○【校舎焼失】
二高女・連坊小・盲唖学校で分散授業昭和22.(1947)10.30
○【校舎移転】(仙台市北六番丁)
○北六番丁校舎全景
終戦直後の窮乏の中、関係者の献身的な努力が実り、昭和22年10月、北六番丁新校舎が完成した。この校舎は、本校の歴史が始まって三度目の校舎となった建物である。校舎は第二高等学校の礎石を利用し、玉浦飛行場の古材を使用した二階建てで、559坪強の建物であった。南北に長く中廊下を挟んで普通教室19室を備えていたが、特別教室については不備な点が多かった。写真は校舎を正面から写したところ。手前の四角い部分が昇降口であり、その左奥には、昭和24年に建てられた講堂が見える。昭和22.(1947)11.12
○寒風吹きすさぶ中での創立50周年記念式典
昭和23.(1948)4.1
○『宮城県第一女子高等学校』
6学級 定員900名昭和24.(1949)3.
○高等学校第1回卒業生
高等女学校50回生の中の33名が本校初の卒業生となる。昭和28.(1953)7.25~
○【校舎移転】(仙台市中島丁)
中島丁旧校舎昭和30.(1955)4.1
○講堂 兼 体育館の落成 落成式
講堂落成を記念して高等女学校本科51回生、錦織ひろ子氏の手になる像が作成され、東外壁上部に掲げられた。戦後の本校の再生を象徴する講堂にふさわしい躍動の乙女像となった。
○講堂を飾った「天使飛翔」昭和31.(1955)5.25
○応援歌制定
作詞 鉄本明子
作曲 永井道子
昭和31年 第5回総合体育大会より歌われた。昭和32.(1955)7.10
○プール竣工
創立60周年記念事業として、本校ではプールを建設した。総工事費650万円余、この当時の東北ではまったく類を見ない「循環滅菌装置」を備えた近代的なプールがここに誕生した。このプールは水泳連盟公認の設備と規模を誇った。写真はプール開きのテープを切る安藤学友会長と、早坂PTA副会長。この後、ヘルシンキ・オリンピック参加選手などによる模範泳法が披露された。昭和38.(1963)4.1
○ 9学級 定員1050名
昭和40.(1965)4.1
○専攻科生徒募集
定員1350名昭和43.(1968)4.26
○記念会館
昭和44.(1969)
○完成直後の新校舎
昭和45.(1970)
○制服自由化の気運強まる
昭和48.(1973)10.
○服装自由化
昭和49.(1974)
○自由化後、初の文化祭
昭和52.(1977)4.1
○<南北学区分割>
昭和59.(1984)6.10
○弓道場竣工
矢渡しを行う佐藤真二郎コーチ - 平 成
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平成 9.(1997)
○後藤喜久子氏、 同窓生としてはじめて会長に就任
平成 9.(1997)4.
○創立百周年「友の栞」百周年記念号発刊
○理数科設置平成 9.(1997)10.
○秋桜館完成披露
平成20.(2008)
○ 男女共学化『宮城県宮城第一高等学校』に
平成29.(2017)4.
○ 創立120周年
- 令 和
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令和 2.(2020)11.
○第2グラウンド完成
令和 4.(2022)4.
○国際探究科・理数探究科設置
○県立高校初の探究科令和 5.(2023)
○ 新校舎完成
現在に至る